仏と如来.ラジオ#42

第42回目のラジオ配信。「仏(ぶつ)と如来」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

ラジオテーマ「仏と如来」の内容まとめ
  • 仏(ぶつ)と如来(にょらい)はちょっと違う
  • 仏(ぶつ)は仏さま(ほとけさま)への尊称
  • 如来は仏さまの世界(真如の世界)から私たちのもとに来られてはたらきかけている仏さま
  • 阿弥陀仏・阿弥陀如来は、どちらも阿弥陀という仏さまをさす
  • 仏(ぶつ)として仏さまを敬うのか、如来として仏さまのはたらきを敬うのかが違う点
仏と如来

いただいたご質問は「阿弥陀仏と阿弥陀如来、釈迦仏と釈迦如来のように、仏さまの名前には仏と如来の2通りがありますが、違いはあるのですか」です。

今回は「仏(ぶつ)と如来(にょらい)」をテーマにお話していきます。

まず違いがあるのかの問いですが、違いはあります。

阿弥陀仏も阿弥陀如来も、どちらも阿弥陀という仏さまをさしているのですが、微妙に意味が違っています。

仏は仏さまに対する尊称で、如来は仏さまのはたらきを表しています。

そもそも仏は古い時代のインドの言葉「ブドゥ」が中国で仏陀あるいは仏と訳されたものであり、一方で如来は古いインドの言葉「タターガタ」が中国で意味が訳されて如来となりました。

ブドゥは音で訳されて仏陀・仏になって、タターガタは意味で訳されて如来になったんですね。

仏(ぶつ)のもとになったブドゥは、真理に目覚めた人、仏(ほとけ)の悟りをひらいた人の意味があります。ですので簡単に言えば、阿弥陀仏や釈迦仏は仏さまになられた尊い存在なんだと言えます。

それで言えば、菩薩や明王や天人・天女は、仏さまをサポートしてくれる存在ではありますが、仏のさとりを得てはいないので仏さまでありません。仏ではないんですね。

阿弥陀仏や釈迦仏といった仏の名称がついていれば、ああこのお方が仏の国、お浄土の世界の主なんだとわかるわけです。

南無阿弥陀仏や南無釈迦牟尼仏と私たちが唱えるのは、その仏さまに対して、敬います・お頼み申しますと私が宣誓しているということですね。

それが仏という仏さまへの尊称の言葉です。

続けて如来について説明します。

浄土真宗のお坊さんが読む仏説無量寿経の中に「爾時次有仏 名世自在王 如来 応供 等正覚 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏世尊」という箇所があります。

世自在王仏という仏さまに対して「如来・応供・等正覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏世尊」という呼び方もされていますね。

これは、仏さまはこんなお方なんですよと、10個の特徴をあげてほめたたえているところです。

如来も応供も等正覚も明行足も善逝も世間解も無上士も 調御丈夫も天人師も仏世尊も呼び名は違いますが、すべて悟りを開かれた仏さま・仏がどんなかたであるのかを表した言葉です。

そのなかで私たちは如来という言葉をつかって、阿弥陀如来や釈迦如来や薬師如来や大日如来といったように、仏様を敬っているのです。

如来は古いインドの言葉タターガタの意味を訳した言葉です。

仏教経典のなかにはたくさんの数の仏様・仏がいます。しかし私たちから如来と呼ばれる仏はそう多くはありません。それぞれの仏さまは真理に目覚め悟りをひらかれた尊いお方で、それぞれの仏の国の主です。

如来とは、真如の世界から来られたお方だから如来なのです。真如の世界とは、仏の国・お浄土からこられた方ということです。

仏のお浄土、真如の世界は数多くあります。しかしその仏のお浄土、真如の世界にいける人というのはどれくらいいるでしょうか。

何も頼りとするものがなく自分の力のみでやみくもに修行しても、とうてい到達することが出来ない世界でしょう。

しかし如来と讃えられている仏様はちがいます。

仏さまの方から、真如の世界・お浄土の世界から、私たち迷いの世界に生きている人を導いてくださっている存在なのです。

仏の悟りを得られた仏だけでなく、わざわざ私たちのもとにまで来て「こうすればお浄土にいけますよ」と呼びかけてくださっているのが、如来といえます。

数ある仏さまのなかで、私たちのところまで来てくださっているお方なので、阿弥陀如来や釈迦如来といったように、その仏さまのはたらきを敬っているのです。

ちなみに、私たちは一般的に如来といっていますが、阿弥陀仏のような如来はただしく言えば如来如去の仏様になります。

如来という仏は、ただ私たちのもとに来ているのではなく、また私たちとともに仏さまの世界に戻っていかれます。往くことができるということは帰っていくこともできるということです。

私たちは仏さまの世界に連れて行ってもらう如去ですが、如来は如来如去で、つねに仏さまの助けを必要とする人のもとにはたらきかけてくださっています。

浄土真宗では南無阿弥陀仏と仏としての阿弥陀様を敬っていますが、他にも南無不可思議光如来や帰命尽十方無礙光如来といったように、阿弥陀仏を敬い阿弥陀仏にお任せしているのはもちろんのこと、阿弥陀仏のあらゆる人びとを救うというすぐれた如来のはたらきをも讃えています。

不可思議光や無礙光は阿弥陀仏の智慧の光の働きであり、阿弥陀仏と同じように尊く、阿弥陀仏が真如の世界から私たちに対してはたらきかけている智慧の光だから、如来とよんでいるのです。

さいごに話をまとめます。

仏は仏さまに対する尊称で、如来はその仏さまのはたらきを表しています。

仏のさとりを得た仏は数多くいますが、その中でも特に、悩み苦しみの世界に生きている娑婆の私たちに対して、仏の世界、真如から救ってやるぞとはたらきかけてくださっているのが真如から来られた如来なのです。

仏の十号

ラジオで仏説無量寿経の次の一節を紹介しましたね。

爾時次有仏 名世自在王 如来 応供 等正覚 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏世尊

仏説無量寿経

阿弥陀仏が菩薩として修行していた時の師である「世自在王仏」という仏に対して、10個の呼び名を挙げて、仏とはこういうお方なんですよと紹介しているところです。

  1. 如来:如(真理そのもの)から来られた仏
  2. 応供:供養を受けるにふさわしい仏
  3. 等正覚:かたよりがなく完全なさとりを得た仏
  4. 明行足:智慧と行いがどちらもしっかりとできている仏
  5. 善逝:迷いの世界から仏の世界(如)にいった仏
  6. 世間解:人びとがいきる世の中・境遇・立場・こころ・感情などをよく知る仏
  7. 無上士:菩薩よりもすぐれた最高の存在の仏
  8. 調御丈夫:悩みの世界の人びとをただしく導くことができる仏
  9. 天人師:天部の世界や人間の世界の師である仏
  10. 仏世尊:さとりを得て世間から尊いお方だと敬われる仏

如来という仏は、たんに悟りの境地にいたったお浄土の世界・真如の存在だけではなく、真如の世界から私たち娑婆の迷い・苦しみの世界に出て来られ、私たちを真如の世界へと導いていこう救いとっていこうとはたらきかけている尊い存在。

如来ははたらきかけている仏のこと

こちらのブログ記事にも書きましたが、浄土真宗のご本尊「阿弥陀如来」の仏像は、前傾姿勢、前に倒れこんでいます。また左足が半歩前にでていることもあります。

この阿弥陀仏の仏像の姿は、阿弥陀仏が不可思議光や無礙光の如来として、いつも私たちに対して智慧や慈悲の光をとどけている仏の姿をあらわしています。

だから浄土真宗のお寺の阿弥陀仏は、如来の姿でおまつりされているのです。

ちなみに私の寺のお内仏の阿弥陀様の像はちょっと変わっていて、足元の蓮の台座が2つに分かれています。踏割蓮台といわれ、菩薩のような人々を救うためにはたらきまわっている躍動感のある仏さまに感じられます。

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