法事の回忌はいつまでするのか

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

お坊さんの私にはご門信徒から年忌法事のお勤めを依頼されます。

一昔前はどの家庭も丁寧に故人を偲んでいたのですが、最近では法事に親族を招かなかったり、年忌法要そのものをしない家も出てきています。

「年忌法事(法事の回忌)はいつまで勤めるのですか?」と聞いてくる人はまだ良いほうです。

法事をしないといけないんだという気持ちが残っているんですからね。

今回は法事法要をいつまで勤めるのかについて説明します。

(以下、回忌と年忌をほぼ同じ意味として使います)

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世間では弔い上げという言葉が使われている。

世の中では「弔い上げ(とむらいあげ)」という言葉が使われます。

弔い上げとは、死者の命日を偲ぶお勤めをする最終年忌(回忌)のことを意味します。弔い上げの法事を「上げ法事」と表現する人もいます。

しかし弔い上げとは民間信仰・思想であり、お坊さん的には年忌のお勤めに終わりはないと考えています。

一応昔は50回忌が弔い上げの一区切りとして考えられていましたが、それが徐々に33回忌、27回忌、25回忌、23回忌、17回忌、13回忌と法事をしない理由としてどんどん弔い上げのタイミングが早まっています。

お坊さん的には回忌は永代・いつまでもするべきと考える。

五十回忌まで法事をされる家は少なくなっています。それは事実です。

また弔い上げとしてよく言われている三十三回忌まで勤める家もどんどん減りつつあります。

法事は三十三回忌まで営まれればそれでよいいのだろうか?

法事は一般的には死者に対しての追善供養とされています。

しかし浄土真宗では先立たれたご先祖はお浄土に往かれた諸仏であり、亡き人のご命日のお勤め・ご縁を通して今生きている私たちが仏法を出あう場となるのです。

つまりは法事というのは本来は何年間すれば終わりというのではなく、ご縁が続く限り、永代に渡りお勤めさしていただくのです。

決して顔を見たことがないん・覚えていない、私が生まれるより前の人だったというのは法事を勤めない理由にはならないのです。世代が変わろうと先祖との縁あっての自分なのですから。

法事をやめてもお勤めは続けてほしい。

さてお坊さん的には法事というのはいつまでも続けていただきたいご仏縁です。

しかし現代では親族のつながりが薄くなり、法事へのお参りがすごく少ないです。

また家族間の関係も希薄化しており、年忌法事であっても子や孫がお参りしていないことがあります。

法事というのは盛大に勤める必要はありません。しかし丁寧にお勤めしていただきたいのです。

お金をかけて豪華にすることが丁寧なのではありません。家族・有縁の人が集い故人を偲ぶことが大切なのです。

「年忌法事」と言うと急に構えてしまうかもしれません。

しかし故人の命日にお勤めをしようと思うことが大切なのであり、規模の大小ではありません。できる範囲で勤められればいいのです。

ですのでよくある勘違いですが、年忌法事にしか故人を偲ばない家もあります。

毎年毎年故人の命日というのは訪れます。その日は親族を集め賑々しく勤めなくても家族がそろい僧侶を招きお勤めをします。そして年忌の年に親族を招きお勤めするのです。

例えば三回忌の後は七回忌までお勤めしなくてもいいのではなく、家族の中で四回忌・五回忌・六回忌と勤めるのです。

さいごに。年忌は勤められるだけしてほしい。終わりは決まっていない。

法事をしたくない人は「周りは○○回忌でやめた」「他の人やって法事をしていない」と、自分が年忌をしたくない理由に正当性を持たせようとします。

しかし本来は年忌のお勤めに終わりはありません。

節目として五十回忌や三十三回忌というのはありますが、これは親族・有縁の人を招き賑々しく勤める年忌法要のことであり、仮に十七回忌を一区切りとしても十八回忌・十九回忌と家族そろって亡き人とのご仏縁を大切にしてお参りしてほしいものです。

自坊のご門徒さんでも五十回忌の法要を勤めた後でも、毎年毎年、五十年目のお勤め、五十一年目のお勤めと祥月命日が続いている家はあります。

まあただ一言だけ言いますと、これは強制ではありません。あなたが十三回忌で区切りにしたいならそうなんでしょうし、七回忌でやめるのであればそうなんでしょう。


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まとめ。

法事の回忌の終わりは決まりがない。

お坊さん的には続けられるだけ勤めてほしい。

しかし親戚を招いて賑々しくする年忌法事が無くなっても、家族・子や孫が集まるお勤めを祥月命日として残してほしい。

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