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第205回目のラジオ配信。「広島平和記念公園」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県丸亀市にいるお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。
先日、丸亀市仏教会の研修旅行で、広島県広島市にある広島平和記念公園に行ってきました。
今回は、平和記念公園に実際「行って。見て。思ったこと」を短く話していきます。
さて広島平和記念公園といえば、おそらく日本人のほとんどが知っている場所ですよね。
今からおよそ80年前に原子爆弾が落とされた場所にある公園ですよね。
私自身、毎年8月6日の平和記念式典の様子をテレビで見ていますし、7年前のアメリカのオバマ大統領ときや、ついこの前のG7の首脳たちが公園に訪れたときも、リアルタイムでその様子をテレビを見ていました。
毎年テレビで見る場所なので、わかっているつもりでしたが、実際に行ってみると分かっていなかったことだらけでした。
ちなみに今回、現地ガイドの人をお願いし、説明を受けながら公園を歩きました。
まず最初に、広島の公園に降りてすぐに感じたことは、想像よりもたくさんの人たちがいたことに驚きました。
それも外国の人がかなり多くて、私の体感では半分が、外国の方でした。
私の住む香川県では、近年外国からの訪れる人が増えているそうですが、広島の公園と比べると全然違っていました。こっちの広島の公園の方が断然多いです。
それもアジアの人だけでなく、ヨーロッパやアメリカの人でしょうか、そういった国々の人も大勢みられました。
半分近くは外国人で、もう半分ほどは、小学生や中学生、高校生くらいの学生さんが、大型バスで来ているのでしょうか、大勢の団体で、修学旅行や遠足の行事で広島の公園を訪れている感じでした。
公園を訪れている外国の方は、日本の文化や戦争の悲惨さや歴史や平和を学ぼうと、真面目な感じを受けました。
一方で、修学旅行や遠足の子どもたちを除けば、日本人が広島で積極的に平和学習をしているような、そんな人はあんまりいないように私は見えました。
これは私の想像ですが、おそらく広島を訪れたことがあるという人たちの多くは、学校の行事や何らかの旅行のツアーで、なんとなく行ったことがあるというケースなんではないでしょうか。
公園を歩いていて、日本人よりも外国の人の方が、いろいろ学ぼう・体験しようという気持ちが伝わってきました。
さて、それで現地ではガイドの人と一緒に公園を歩いていたわけなんですが、一番最初に向かったのは、爆心地です。
意外と忘れている人も多いかもしれませんが、原爆ドームに原子爆弾が落ちたわけではないんですよね。
爆心地は原爆ドームから少し離れた位置にある病院の上で爆発しました。
広島平和記念公園をいったん外に出ないとダメな場所です。そこに行ってみると、そんなに道幅の広くない通りで、歩く人も少ないです。
皆さん、原爆ドームや、慰霊碑、資料館の方ばかりに注目してしまって、こちらの爆心地を訪れる人はかなり少なかったです。
ガイドの人の説明で、原爆が落ちた時の様子がよく分かりました。
現地ガイドは絶対にいた方がいいです。
当時の写真や資料などを交えながら、歴史の生き証人のように原子爆弾、戦争の恐ろしさを伝えてくれます。
ちなみに、この爆心地の病院には、当時入院している人が多く、看護師や病院の先生の家族を含めて、80人ほどがいました。爆弾がさく裂した後、放射線・爆風・熱線で全員が即死しました。
今では、この病院のお孫さんが、この同じ場所に、病院を開いています。
それでこの場所では、爆発後の広島の街の様子の写真を見せてもらったわけなんですが、それを見ると煙突や神社の鳥居とか、けっこう建造物が残っているような気がしました。
これは私も勘違いしていましたが、原爆は地上ではなくて、上空600メートルの位置で爆発したことが関係しています。
どうも私は、イメージで、地上付近で爆発して、横への爆風がすさまじかったと思っていたのですが、実際はもっと上空で爆発して、上から押さえつけられるように爆風がやってきたそうです。
なので、丸い筒状の建物とか、レンガとかコンクリートとかそういった物で、うまく爆風の勢いを流すことができた建造物は倒壊を免れたそうです。
この後、原爆ドームに向かったのですが、原爆ドームが残っているのも、真ん中に筒状の部分があるように上手く風を流せたのと、厚いレンガの壁が上からの衝撃に耐えたことが要因だそうです。
原爆は広島にあるものをすべて吹き飛ばしたようなイメージを持っていた私ですが、実際に話を聞き、当時の写真や今も残る遺物を見ると、見え方が変わってきました。
ちなみにガイドの人いわく、原爆が落とされたことで大勢の人が亡くなったわけですが、その亡くなり方は当初アメリカが予測していたものではなかったそうです。
原爆の放射線で最も多くの人が亡くなるだろうと当時のアメリカは考えていたようですが、実際には、爆発のときに引きおこされる強烈な熱による、やけどや火災が死因の多くを占めたそうです。
爆心地周辺の温度は、3000度以上にもなったとされます。
後で、平和記念資料館に行きましたら、溶けた仏像のお姿や、黒く炭に変化したお弁当箱の中の食べ物など、そのときのすさまじい熱の様子が実際目で見て伝わってきました。
広島の平和記念公園といえば、世界遺産の原爆ドームと平和記念資料館、式典でよく見る原爆死没者慰霊碑をイメージする人も多いでしょうが、実際にはもっとたくさんのモニュメントや像や碑などがあります。
現地ガイドの人と歩きながら、いろんな説明を受け、いろいろこちらからも質問をしたのですが、一時間半では全然足りませんでした。
見て、聞いて、初めて知ることばかりで、時間の許す限りもっと話を聞きたかったところです。
この音声配信は、私の短い雑談なので、私が現地で感じだことを全部お話するわけにはいきませんが、もし皆様が広島の平和記念公園を訪れる機会があれば、ぜひ現地ガイドを雇って、時間にしっかり余裕をもって話を聞いてほしいと思います。
私は時間のスケジュールがあって、1時間半で公園の散策を終えて、そのあと、平和記念資料館に行きました。
ここでも学ぶことが多く、特に外国の人が熱心にじっくりと足を止めて見ていました。
滞在時間1時間でしたが、ぜんぜん足りませんでした。
この資料館も行かれる際は、もっと時間の余裕をとっていただけたらと思います。
もしもこれまでに、被爆地広島を訪れたことがある人でも、もう一度、訪れてみてはどうでしょうか。
特に現地ガイドの話はぜひ聞いてほしいです。
学生の時に行ったことがある人たちも、大人になってから行くと、また違ったものが見えてくると思います。
それと最後に、宣伝になりますが、私ついこの前、香川県にある郡家別院の仏教青年会から記事を書いてくれと依頼されました。
それで広島平和記念公園に行ったときに感じたことから、平和の鐘、響きについての仏教コラムを書いて提出しました。
この音声を載せている私の円龍寺ウェブサイトのブログ記事には、その書いた文章へのリンクをのせているので、良かったらその私が書いた仏教コラムも読んでいただけたらと思います。
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