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円龍寺ラジオのエピソード番外5。2020年5月5日に円龍寺本堂での法話音声です。布教は自役、円龍寺住職がいたしました。

自役(じやく)とは、自分の寺のご法座で住職自身が役する(おつとめする)ことです。
本来であれば、本山布教使をお招きして、布教していただく予定でした。
2020, 円龍寺春永代経
- 雑音が酷い個所などをある程度、編集・削除しています。
- コロナウイルス感染予防のため、法話時間が短くなっています。
コロナ禍の中でのお寺の行事
「コロナウイルスに対するお坊さんの取り組み」や「コロナウイルスで仏教行事も対策を迫られる」で紹介しましたが、2020年は年明けからコロナウイルスが流行し、4月5月には全国に非常事態宣言が発令されました。
その中でのお寺の行事であり、感染予防に注意して法要をつとめました。

お彼岸のころより、マスクやアルコール消毒液が不足しておりました。
お寺の行事に不織布マスクと消毒液を確保したいと思案していたとき、高松市の佃様は、私たち僧侶のために布マスクを手作りしてくださいました。
また岡山の地酒メーカーの「三光正宗」、杜氏の山上様のご懇意で、製品化したばかりの手指の消毒に使える高濃度スピリッツを届けてくださいました。
おかげさまで、法要の最後に、不織布マスクの配布と参加者全員へのアルコール消毒ができましたことお礼申し上げます。

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兵戈無用(ひょうがむよう)
法話で「兵戈無用」の言葉がありました。兵戈無用は仏説無量寿経の中に登場します。
仏所遊履 国邑丘聚 靡不蒙化 天下和順 日月清明 風雨以時 災厲不起 国豊民安 兵戈無用
「仏説無量寿経」より
また浄土真宗の宗祖親鸞聖人は聖教のなかで次のように記しました。
人民安楽にして、兵戈戦息す、疾疫行ぜざるなり。
兵戈とは、武器や争いの意味です。
無量寿経の兵戈無用を訳すと、「仏が歩みいくところは、国も村も、その教えに導かれないところはない。世の中は平和に治まり、太陽も月も明るく輝き、風も雨もさわやかに、災害や疫病もおこらず、国は豊かに人びとは平穏に、武器をとって争うこともなくなる」のような意味になります。
「自粛警察だ・人を見たらウイルスと思えだ」と心が荒みかけているコロナ禍の中ですが、自分が正義・他人が悪だと、人が人を傷つけかねないこの世の中において、兵戈無用が戒めとして私たちのこころに響いてくるように感じます。
兵戈無用をより詳しく知りたい方に、大谷大学と東本願寺のウェブサイトを紹介します。

今回は布教使をお招きを断わることになりましたが、常には円龍寺でのご法座は布教使がしています。
昨年の秋永代経と報恩講法要の法話をリンクします。よろしければお聞きください。

円龍寺は香川県にある浄土真宗寺院。毎年9月に秋の永代経法要があります。本山布教使が「阿弥陀仏ってどんな仏様?」をテーマにご法話しました。

円龍寺は香川県にある浄土真宗寺院。宗祖親鸞聖人の報恩講法要で、布教使が「なぜ浄土真宗のお寺(円龍寺)が人々に選ばれたのか?」をテーマにご法話しました。
「円龍寺かっけいラジオ」では、番組へのメッセージを募集しています。ご感想や取りあげてほしいテーマなどもお寄せ下さい。